top of page

HIROTO KOHMOTO

(甲本ヒロト/ ザ・クロマニヨンズ)

ヒロト.jpg

全てがかなう夜がある 
しくじるな 準備はいいか 
なりたかったものに 
なれるんじゃないか 
カウントダウンは 5-4-3-2-1
WE ARE MODS !

Hisashi Kato

(加藤ヒサシ/ THE COLLECTORS)

Mitsuo Shindo

信藤三雄/ Scooters

今想い返せば、すべてのスタートは1979年に公開された「さらば青春の光Quadrophenia」だったと思うのです。

まだその映画を観る前に、僕らはScootersと名付けて活動を開始することになるのですが、、名付け親のベースのテッちゃんのオールディーズ好きの影響があったと思いますが、、、兎に角、当初はMODSのシーンとは別のデザイナー達の仲間達から始まったんですよね!

そして、いつの間にかMODSの子達がScootersのLIVEにチラホラ見かける様になってきました。たぶんその中に学君や卍君がいたんでしょうかね!

そして1982年に第2回目のMODS MAYDAYに呼ばれて新宿ACBの舞台に立ったのですが、あがってしまって、演奏ボロボロだったことはハッキリと覚えていますwww。そしてその年の7月にアルバム「娘ごころはスクーターズ」が発売になります。

そしてその後「東京ディスコナイト」をシングルカット、テレ東ドラマのAカップCカップのテーマ曲になり、東京ローカルな小ヒットになりました。

そして80年代後半ぐらいから渋谷や下北沢あたりのクラブで東京ディスコナイトが回され始めたようです。

小西君やフリッパーズの小山田君、小沢君たちの後押しや小泉今日子さんのカバーもありScootersは盛り上がりもせず盛り下がりもせず、、、不思議なスタンスで。

その後言われ始めた渋谷系のルーツ的な存在として、多少の役割ははたしたのかもですが、WHO.JAM.Style Council.Paul Weller等が

MODSの遺伝子を伝え続けているのも、僕にはとても嬉しいことです。

信藤三雄.jpg

GAZ MAYALL

MODS MAYDAY 40周年 おめでとうございます。


僕が〝MODS〟を思い浮かべる時、やはり〝あの頃〟の楽屋での緊張感、客席で暴れたKids、スマしてて声も掛けられなかった女の子たち、仲良くなったヒネクレもの、キザな奴、ダンディーな兄貴、これは僕らも同様に、その〝こだわり〟故の激しさが、そのお互いの〝クール〟の応酬が、今は懐かしく、愛おしくさえ思える。
そして〝MODS〟は、僕に曇り空の美しさを教えてくれた、マナブ君は出会った時から、少しも構えていなくて、今でも僕らには「陽気にやろうぜ」って、目で語っている、何となくそんな気がします。

THE STRIKES Aphoto 2020.jpg

THE STRIKES

Comoesta Yaegashi

コモエスタ八重樫

MODS MAYDAY40周年!おめでとうございます。もう細身のスーツもスクーターも手元にないけど、心の何処かはMODSな私です、、、と言ったところで古い話していいですか?

60年代にティーンエイジャーだった私、’79年の「さらば青春の光」観てレコードやファションだけではわからなかったスインギングロンドンを新たに知ってショックを受けた!もう20歳代後半だったけど即、軍放出のパーカーを買い、ヴェスパの店にスクーターを注文、運転免許を持っていなかったので(笑)50CC免許を取りに。数ヶ月後には、当時、働いていた青山の美容室に気取ってスクーターで通っていた。翌年は音楽事務所に転職、80年のスペシャルズのコンサートにはパーカーの下にキメキメのスーツを着込んで出かけて行ったけど、一人MODSでした。(その後原宿の洋服屋さんや美容師さんと連んで走るようになった、ノーヘル時代が懐かしい!)

「30歳以上の大人は信じるな、、。」「老いぼれる前に死にたい、、。」そんなメッセージに惹かれていた私は、もういい加減に歳もくい、老いぼれもしたけど、そんな時代を思い起こすと、どこか夢見心地になれるのです、、、。

コモエスタ八重樫.jpg

MODS MAYDAY40周年、おめでとうございます!

80年代後半、MODSシーンは深入り出来ないほどクールでシャープでスマートで近寄りがたかった(笑)。

それでもヤバイくらいカッコイイバンドが沢山居て、新宿JAMによく通いました。

中でもダンサーが居た頃のHIGH STYLEのHIPさと言ったら!本気でメンバーになりたかったほど。

90年代に入って、僕が渋谷ZESTでバイトをしていた頃、時々マンジさんがレコードを買いに来てくれて嬉しかったな。

あの頃、MODSは本当にカッコイイと思ったし、今も変わらずMODSはCOOLだと思うしワクワクします。

マナブさんを始め、今も輝き続けるオリジナル組に乾杯!

カジヒデキ.jpg

Hideki Kajiカジヒデキ

PETER BARAKAN

DJ SCRATCHY

1986年かな…?高校生のガキんちょだったボクなんかが、渋谷LIVE INNでのMODS MAYDAYのお手伝いさせてもらった想い出。

『HERE TODAY』や、ジャムスタでの『MARCH OF THE MODS』ミロスでの『GANG STAGE』と、ホント楽しみに過ごしていました!!!

ラジオでも無く、サブスクでも無く、あの頃その場で聞いた音楽が今の自分をかたどっているんだなぁ〜って感じています。

そんな貴重な音楽体験をホントありがとうございます!!!

そして、今も続けているカッコよさ!!!

MODS MAYDAY 40周年おめでとうございます!!!!

會田茂一.jpg

Aigon會田茂一

Yasuhiro Nakamori

(中森泰弘/ ヒックスヴィル)

中森アー写.jpg

今や日本のカルチャーの1つとして定着したといっても過言ではないそのモッズ・シーン。ファッション、音楽、そしてカルチャーに深くこだわる姿は当時のイギリスのシーンと何ら変わりはない。それも今年40周年を迎えるモッズ・メーデーがあったからこそだ。

普段はクールに構えるモッズたちもこの日ばかりは熱いはず。

これからもずっとずっと続いて欲しい!

Bruce Foxton

(Bruce Foxton, Russell Hastings / FROM THE JAM)

James Taylor

(THE JAMES TAYLOR QUARTET)

MODS MAYDAY40周年おめでとうございます!

80年代の初めにクラスメイトに誘われて行った新宿のライブハウス、そこで目の当たりにした東京のモッズシーン、あの刺激的な体験が無かったら現在も音楽活動をしている自分は居なかったと思います。

愛と平和、STAY HIP!!の精神はまだ持ち続けてるつもりよ。

歌手 真城めぐみ

Megumi Mashiro真城めぐみ

真城アー写_s.jpg

THE SCOOTERS

Billy Kitamura

ビリー北村

%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%BC%E5%8C%97%E6%

1985年ツバキハウスでビリー北村プロデュース、藤井悟ディレクターの60sをテーマにしたレギュラーイベントを企画していた。悟が連れてきた黒田学率いる【ModsMayday】の奴らは【さらば青春の光】そのものでカッコよかった。彼らのおかげで【GangStage】は成功した。

ModsMayday40周年おめでとうございます。

Akito Katayose片寄明人/GREAT3、Chocolat & Akito

片寄明人.jpg

MODSに魅せられたのは1983年、15歳の時だった。ポール・ウェラーに憧れ、The JamやThe Whoの写真を穴があくほど見つめては、似たような服を古着屋で必死になって探したものだった。

1984年、雑誌でMODSが集まるライブがあると知り、新宿JAMの「MARCH OF THE MODS」へ行った。明治通り沿いの歩道に立ち並ぶ、煌びやかなスクーター、たむろするクールなMODSたち。

夢のような雰囲気に圧倒され、エントランスを横目に通り過ぎるのが精一杯で、中には入れなかった。

意を決して、翌月から通うようになった。そこはまるで60’sのロンドンにタイムスリップしたかのような世界。

行きも帰りもひとりぼっちだったけど、最高に幸せだった。

MODS MAYDAYの思い出と言えば

1990年クラブチッタ

超満員のオーディエンスが放つエネルギーが
凄まじい波になって熱い波動を何度も浴びた。
正に熱狂の夜。

バンド始動時からモッズの皆んなに支持された
スカパラ。
MODS MAYDAY40周年おめでとう!
そしてありがとう!


https://youtu.be/F-TSru1N9TY

Tatsuyuki Hiyamuta(冷牟田 竜之

91234774_2515252725470560_86064227567009
bottom of page